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古き都の新しさ
 
先月号にもチラリと書いた京都旅行。

今まで何度も何度も行っていながら毎回新しい美味しさに出会える京の都の奥深さ。

今回もまた美味しいものに出会ってきました。

今回であった美味しさは「わらび餅」。

「え〜!わらび餅なんかどこでも食べられるじゃない」という空耳がはっきり聞こえてきましたが、今回出会ったわらび餅は只者じゃぁありません。

私も高校時代までは、夏に軽トラでやってくるわらび餅屋さんのわらび餅しか知りませんでしたが、その後社会人になってからはバブルの恩恵を受けて桐箱に入った本わらび餅まで食べてきた男です。

ちょっとやそっとのわらび餅では、心にさざ波一つ立てることはないでしょう。

しかし今回食べたわらび餅は驚きました。

わらび餅とはこんな食べ物だったのかと目からウロコがマッハの勢いで飛び出したほどです。

さてさて、そんなわらび餅を食べたのは嵐山の「老松」有識菓子御調進所。

渡月橋からだと天龍寺を超えてちょっと行ったあたりにある京菓子のお店です。

入り口は割と由緒ありそうな感じではありますが、京都ではごく普通の和菓子屋さん。

中に入っても普通に美味しそうな和菓子が並んでいるだけなのですが…その脇を抜けて奥に行くと、意外な光景が…。

奥は茶房「玄以庵」になっているのですが、お店の外見からイメージする茶房ではありません。

一卓ごとに素材が異なる一枚板のテーブルはデンマークのデザイナー「ボーエ・モーエンセン」の作。

そして床は石タイル貼り。

柱には一輪挿しがあり、奥には掛け軸。 全体としてモダンな感じなのですが、一面のガラスの外には狭いながらも苔むした日本庭園。

何となくヨーロッパの日本料亭といった趣です(行ったことはないのですが)。

テーブルからほのかに漂う木の香りと庭の鮮やかな緑に心癒されながら待つことしばし…しばし…本当にしばし…。

なんといってもここのわらび餅は注文を受けてから練り始めるとのこと。

結構待ちます。

そして腹の虫がクーデターを起こす寸前、やってきましたわらび餅。

漆塗りのお盆の上に漆塗りの桶、氷が浮かぶ水の中には黒いマリモの如き謎の物体が!

なんとそれがわらび餅。

普通わらび餅といえばベージュっぽい色合いで四角く切ってあるモノ。

よもやこんな黒光りする物体が出てくるとは思いませんでした。

しかもお箸で掴もうとしてもぬらりくらりと滑ります。

それをなんとか捕まえて、きな粉にまぶし、ちょっと黒蜜に絡めて口に入れると…。

まずはきな粉の香ばしさと黒蜜の甘い香りが鼻腔をくすぐり、次いでとてつもなく柔らかいくせに簡単には噛み切れないぞと粘りを見せるわらび餅が妖艶に舌を誘惑します。

そしてなんとも絶妙なのがその「温かさ」。

氷水に冷やされて表面は冷たいのですが、芯にはまだほのかに温かみが残り、口の中でその温かさと冷たさが混じり合うのです。

そして噛むほどに香るわらび粉の香り。

う〜む、私の筆力ではこの美味しさを表現しきれません。

京都に行かれた際には是非立ち寄ってみてください。

もしかすると店内の柱に私の目から飛び出したウロコが刺さっているのが発見できるかもしれません。

さて、そんな京都で他にもいろいろおいしい物に出会ったのですが、ちょっと気になったのがほうじ茶のおいしさ。

京都ではあちこちでほうじ茶を飲んだのですが、その香りがずいぶんと違います。

まぁ元のお値段の問題もあるのでしょうが、私の鼻の感じるところではその鮮度が違うような気がします。

珈琲の場合もいくら高級な豆を使ったとしても、焙煎から日が経ってしまえば酸化して風味が落ちるモノ。そ

んな訳でウチの場合は一週間以上経った豆は使っていないのですが、多分ほうじ茶もこだわっているお店は「焙じたて」のお茶を出しているのではないかと思います。

出来たてのわらび餅に焙じたてのお茶(推定)。

千二百年の都には、古き歴史の重みと共に、鮮度にこだわるもてなしの心もあるようです。

そんな京都に比べると、我がKURIKURIは百分の一ちょっとの歴史しかありませんが、焙煎したての珈琲豆や作りたてのアイスクリームなどで、古き都に対抗していこうと思います。


KURIKURI