130号の当選番号は 055 082 128 132 191 です。

シキガミ様のおかげです

長年家庭教師をやっていると、よく耳にするのが「式の意味がわからん」というセリフ。

こんな疑問を持つ子の方が、疑問に思うこともなく数式を暗記する子よりも伸びしろがあるものなんですが、確かに数式は不思議です。

6÷3=2なら、六個のケーキを三人で分けたら二個ずつ。と感覚的に理解できるのですが6÷1.2=5となると、二割でかい人なのか、0.2の部分が幼児だったり目玉親父のようなパーツ人間だったりするのかと気になりますし、その問題を無視しても何で五個ずつになるのかが意味不明です。

しかもこれが方程式になるとxやらyなんて出てきますし、終いにはθ⊿τと読むことすら困難な文字まで登場する始末です。

かく言う私も数式の意味を悟ったのは大学四年の秋、卒論のために実験を重ねた結果を文章化するために四苦八苦していた時のこと。

いくら文章をこねくり回しても表現できない現象が数式一つで見事に表現できたのです。

「数式は現象を表現する言語なんだっ!」と、ヘレンケラーが水の概念を理解した瞬間の如く悟りを開いたのです。

このようにして、数式が言語であることは悟ったものの、桃太郎を読めたからといってドグラ・マグラが理解できるわけではないのと同様に、難しい数式の意味はいまだに理解できていません。

ただ、それでもたぶん一般の人よりは数式を身近に感じていると思います。

とまぁややこしい話を書きましたが、式という文字には「使う」とか「用いる」の意味もあり、映画「陰陽師」で安倍清明が式神をパシリのごとくこき使っていたように便利な道具として使えばいいと思います。


閑話休題

このエッセイを読まれている頃にはすでに終わっていると思うのですが、何人かのお客様からKURIKURI史上最高に美味しかったという評価を頂いた「秋の和風プレート」のお話。

抹茶のテリーヌの評判がよかったのは、高級抹茶を呆れるほどふんだんに使ったので製作者としても納得なのですが、意外に評価が高かったのが「ほうじ茶ぜんざい」。

コスト的にはほんのチョビッとだけしか乗っていない抹茶のテリーヌよりも安いくらいなのですが、「美味しい!」の声の大きさは同レベル。

コスト・パフォーマンス的には「ほうじ茶ぜんざい」の圧勝といえるでしょう。

ではなぜ、そんなにほうじ茶ぜんざいが美味しくなったのか。

それは試作の時にさかのぼります。

先月号のエッセイで書いた京都旅行で買ってきた美味しいほうじ茶を使って試作を続けていたのですが、なかなか味と香りのバランスがとれません。

あちらを立てればこちらが立たず、お腹はどんどん膨れてくるのですが、ほうじ茶はどんどん減っていきます。

何とか納得のいく味に仕上がったときにはラストの袋を半分以上も使った後。

これではとても最終日までもちません。

そこらで買えばいいじゃないかと思うかもしれませんが、一度美味しいほうじ茶に出会ってしまうとなかなかそこらで売っているものじゃ妥協できないものなのです。

しかし、京都に行っている時間はありません。

式神様にお願いして買ってきてもらいたいところですが、陰陽師ならぬ身のこと、使役の呪詛も知りません。

そんなわけでやむを得ず、自分で作ることにしたのです。

ほうじ茶というのは緑茶を焙煎したものの事。

一般的には番茶を焙煎するようですが、美味しいほうじ茶の茶葉を見ると茎が入っていないので煎茶を焙煎しているようです。

そこで煎茶を買ってきてフライパンで炒ってみたのですが、何度やっても炒りムラができ焦がしてしまいます。

ネットで調べると焙烙という陶器製の専用器があるようですが、そんな物を買っている暇はありません。

土鍋では大きすぎて温度コントロールが難しそうですし…と考えていると、かつてあるお客様から「ほうじ茶は紙の上で焙煎するんですよ」と聞いた事を思い出しました。

そういえば漫画「美味しんぼ」でも山岡士郎の母親が奉書紙で茶を焙じてるシーンがあったような気が…。

そこで手近なコピー紙に茶葉を乗せてコンロで炙ると…あっという間に紙に火がつき松明状態…。

試行錯誤の末、紙を丸く切り抜いて鍋に敷き、鍋ごと炙ればうまく焙煎できることが判明。

一時はどうなることかと思いましたが、敷紙を使うことで何とか美味しいほうじ茶を作ることができました。

そして何よりよくわかったのは、ほうじ茶もコーヒー同様焙煎したてが一番香り高いという事。

そしてこの焙煎したての香りがあったからこそ、ほうじ茶ぜんざいは高級抹茶に負けない評価を得たのでしょう。敷紙様に感謝です。

KURIKURI