165号の当選番号は 038 081 097 112 129 です。

役立たず


皆さんは美味しいものを食べる時、何か決まった作法のようなものはあるでしょうか?

私の場合、若かりし頃は「ハラを減らす」ことを心がけていたものです。

子どもの頃は「今夜はご馳走だ」という話を聞けば、おやつは食べずに我慢したものですし、会社員時代にヒルトンホテルのケーキバイキングに行った時には前の晩から胃袋を微調整し、ヒルトンの扉をくぐる瞬間に空腹メーターの針がMAXに来るようにしたものです。

しかし、トシをとってくると美味しいものを「ガッツリ」と食べることより「じっくり」と味わうことの方が大切になってきました。

ですから今はご馳走を食べに行くとしても、その前の食事は普通に食べ、おなかの虫が騒ぎ出す前に店に着き、平常心とともに一口目を口に運ぶようにしています。

また、若かりし頃は目の前の肉が松阪の高級牛だろうが野尻湖のナウマン象だろうが気にもならなかったのですが、トシをとってくると産地だとか製法だとかが気になって、メニューに書いてある解説みたいな所をつい熟読してしまいます。

ただ、好奇心は旺盛なのですが記憶力が伴わず、好物の福砂屋のカステラなんか、食べるたびに同封されている解説を穴が開くほど熟読しているはずなのに、ちっとも内容が思い出せません。

ともあれ私自身が解説を読みたがる人なので、新デザートが出るたびに作るPOPは結構文字が多めです。

文字が多すぎると読んでもらえなくなるので、できるだけ短く短くと心がけてはいるのですが、めいっぱい縮めてもあの量です。

字数に制限がなかったら、きっと短編小説並みの文字量になってしまうことでしょう。

さて、小説といえば「銀の匙」という小説があります。

この日本一美しい文体で紡がれた小説は、かつて灘校の橋本武先生がこの小説一冊だけを三年間かけて読み込むという授業を行ったことで有名になりました。

わずか200ページほどの小説を三年もかけて読み込むという授業に、「そんなことをして役に立つのか」という批判もあったようです。

しかし、橋本先生は「すぐに役に立つものはすぐに役に立たなくなる」と言って、その授業を五十年もの長きにわたって続けられました。

そしてその結果、教え子たちの中には東大総長を務めるものも出るほど優秀な人材を輩出し続けたのです。美しい日本語には人を育てる力もあるのでしょう。

さて、匙と言えば当店にはスプーンを持参してデザートを召し上がるお客さんがいます。


最初は「マイ箸」のようなエコロジーなのかなと思ったのですが、いかにアバウトな私といえどもお客さんが使ったスプーンを割り箸のようにポイポイ捨てるほど地球に厳しくありません。

脳内に渦巻く疑問符の圧力に耐えかねて、ある日当人に尋ねてみたら意表を突いた答えが返ってきたのです。

「美味しいものは銀のスプーンで食べることにしているのです」

そう、その方が持参していたのはまさに「銀の匙」だったのです。

遠き西洋の地には、生まれてきた子に銀の匙を与え、幸せを願う風習があると聞いたことがあります。

もしかするとその方も、その風習にならって銀の匙を授けられたのかもしれません。

ともあれ、そのような価値あるスプーンを当店のデザートのためにわざわざ持参していただけるとは!

こんな話を聞いてしまったら、このエッセイに書かずにはいられません。しかし、本人に断りもなく書くわけにもいきません。

そこで帰り際に、このエピソードをエッセイのネタに使っても良いかと尋ねたら、返ってきた答えもまた意表を突いたものでした。

「ほまれです」

「誉」という漢字に脳内変換するのにどれだけの時間を要したことか・・。

私なんか「いいですか?」と聞かれて、気の利いた答え方をしようと考え抜いたとしても「OK牧場」と言うのが関の山。

銀の匙を使う方は、使う日本語もまた美しい!

この美しい日本語とエピソードはこれからのデザートを美味しく育てていくことでしょう。

そして、翻って見ればこのエッセイ、美しさのかけらもありませんし役に立つことなど何一つ書いてありません。

しかし、すぐに役に立たないことはずっと役に立つかもしれません。

若かりし頃にアホのように大食いしたケーキの数々は、現在多くのデザートでしっかり役に立っているのです。

この無意味きわまりないエッセイだって、いつの日かずっと役に立つかもしれませんので是非お持ち帰りいただきたい!

ずっと役には立たなくても、来月に当選して500円分のチケットになる可能性だってあるのです。

ちなみに古いKURIKURI通信も店内のバックナンバーかお店のHPで当選が確認できます。

もしかすると、昔のKURIKURI通信がデザート追加のお役に立てるかも・・・。



KURIKURI