Vol.14 2003.2.1
この号の当選番号は006と123です。
利休ならぬ身
店を始めてからは一度も行っていないのですが、会社員時代はこの時期よくスキーに行っていました。
基本から学ぼうという謙虚な気持ちがなかったためにフォームはむちゃくちゃで、滑る姿は仲間内の誰よりもカッコ悪かったのですが、一つだけみんなに負けないものがありました。
それはスピードです。
足も揃わないへなちょこ滑りのくせに、崖のような急斜面を手負いのイノシシの如く爆走することが出来たのです。
はじめの内こそ途中でこけて盛大な雪煙と共に吹っ飛び、後輩達から「子どもじゃないんだから、もう少しトシを考えた滑りをしてください」とたしなめられていましたが、すぐにこけることもなくなり豪快な滑りを楽しんでいたものです。
こんな感じで毎年スキーを楽しんでいたのですが、最初の一・二年は全く上達せず自分にはスキーの才能というものが全くないのだと思いこんでいました。
曲がれず止まれないために、折角誘われて行ってもすぐにコースから外れて救助され、下で待ってくれている仲間には激突し、常に足手まといになっていたために二年目のシーズン半ばには「もう絶対来シーズンはスキーなんてやらないぞ」と心に誓ったほどです。
しかしある時、転機が訪れました。いつもブーツや板を貸してくれていた友人が、たまたま同じ日にスキーに行くことになったため、レンタルの板とブーツを借りたのです。
すると、驚いたことに曲がれるし止まれたのです。
問題は才能ではなく道具だったのです。
いつも貸してくれていた友人は身長185cmで足のサイズは27.5cm。
身長で15cm以上、足のサイズで3cmも違うのを、そのおおざっぱな友人の「大は小を兼ねる!」の一言で何の疑いもなく借りていた私がバカだったのです。
しかも高山育ちの彼が高校生の時から使っていたという板はレンタルで借りた新型の倍は重く、そしてエッジはすり切れて角がなくなっていたのです。
高校時代から使い慣れている彼には何の問題もなかったのでしょうが、初心者にはちょっと荷が重い道具だったのです。
世の中には「弘法は筆を選ばず」という諺もあります。
確かに弘法大師のような超が付くほど天賦の才に恵まれた人物なら、歯ブラシでタコの墨を使って書いても芸術的な揮毫が出来るのでしょうが、一般人はやはり道具を選ぶべきなのでしょう。
つくづく道具というものの大切さを知った出来事でした。
そしてこれは多分、お茶の世界でも同じ事がいえるのでしょう。
もし私が千利休や古田織部ならひびの入った粗末な茶器でも相手に深い感動を与えることが出来るのでしょうが、どうひいき目に見ても単なる一般人なのでそうはいきません。
と、いうわけで凡人夫婦が営むこのKURIKURIは水や茶葉を厳選するだけでなく、器にもこだわり、お客様に少しでも感動を与えることが出来るように努力しています。
いつか利休になれる日を目指して・・・。