Vol.44 2006.8.1 この号の当選番号は009と124です。
食の掟
もし目の前によく熟した真っ赤なトマトの果実と、そのトマトで作ったフレッシュジュースがあれば、どちらを選びますか?
私なら間違いなく果実の方を選びます。
トマトの旨味はトマトの果肉部分と種周りのゼリー状の部分が一緒になると倍増するそうですから、単純に旨味だけなら両者がしっかり混ざったジュースの方が上かもしれません。
しかし「おいしさ」は旨味だけで決まるわけではないのです。
はかなく前歯に抵抗する維管束、ペッタリと上顎に貼り付く果皮、つるりムニョりと奥歯から逃れる種、これらもまた重要な「おいしさ」の要素だと私は思うのです。
そんなわけでKURIKURIのデザートは結構食感にこだわっています。
例えば先月の「キャラメルプリンクレープ」は、ふんわりもっちりとしたクレープ皮の中にホイップした生クリームと焼きプリン、シフォンケーキにキャラメルアイス、そしてアクセントにムニュっとした食感のバナナを加え、彦摩呂なら「食感のオーケストラや!」と評するに違いない複雑な食感に仕上げました。
また、このKURIKURI通信が置かれた時点でギリギリ間に合っている「ブドウのムース」は、ぶどうは生のデラウエアと凍らせた巨峰、アイスは濃厚なバニラアイスクリームとメレンゲで軽く仕上げたシャーベット、ホイップクリームとブドウのムース、そして二種類のゼリーも固さを変えて、「食感の宝石箱」状態に仕上げています。
しかし、おいしさは「おいしさ」だけで決まるものではありません。
先日行った和風フレンチというか無国籍懐石のお店では、一皿一皿の中に様々な食感があるだけでなくメインディッシュの前にシャーベットが出るという驚きのコンビネーションでもおいしさを感じさせてくれたのですが、それ以外にもおいしさの要素があったのです。
それは、例えば窓の外に息づく緑の庭園、冷気を感じさせない空調、しっとりと落ち着いた従業員、これら全てが相まってとても満足のいくおいしさを味わうことができたのです。
このように「おいしさ」には味覚嗅覚などだけでなく触覚や雰囲気など食事をとりまく様々な場面が集約されて生まれてくるのですが、中にはその場に全く関係ないことによって「おいしさ」を感じられなくなってしまうことがあります。
よくあるのは悲しい想い出につながる食べ物で、私の友達にはバイト先のマックで熱烈な大恋愛の末に悲惨な破局を迎えたためにハンバーグすら食べられなくなった人がいます。
私の場合はそこまでひどくはないのですが、一つだけおいしく食べる事ができないものがあります。
会社員時代、仕事上で手助けをした他社の知り合いから北海道土産に「産地限定!果肉たっぷり!」と銘打ったおいしそうな夕張メロンゼリーを頂いたのです。
私個人宛に彼のポケットマネーで買ったものとはいえ、元は仕事でのことですから後輩達と食べようと会社に持ち込み、試験室のあまり使われていない保冷庫に隠しておいたのです。
そして一日蒸し暑い工場での試作を終え、冷たいゼリーを楽しみに試験室に戻るとゴミ箱に夕張メロンゼリーの包み紙が。
あわてて保冷庫をあけると中は空。
そしてそこに後輩がやってきて「いやーホントにおいしいゼリーだったッスね。僕なんか三個も食べちゃいました」と、涼しい顔。
以前他社から賄賂に貰ったドーナツをそこに隠してみんなで山分けしたことがあったので、今回もそのつもりで食べてしまったのでしょう。
しかし、そのゼリーは究極の美味として私の中で神格化されてしまい、どんなにおいしそうなゼリーを食べても「きっとあのゼリーの方がおいしいに違いない」と思え、心底おいしいとは思えなくなってしまったのです。
教訓:人のものは勝手に食べない。食べるなら少しは残せ!