Vol.85 20010.1この号の当選番号は014と023と026と142と155です。
来福
あけまして、おめでとうございます。
今年は久々に九州に里帰り。
これを書いているのは年末なのですが、大宰府名物の梅が枝もちをたらふく食べてくる予定なので、きっと最後に私を見かけた時より2〜3キロは太っていることでしょう。
と思ったのですが、よくよく考えてみると帰省はたった1泊2日の強行軍。
30日まで店をやって、31日の早朝出発。
年末年始のモロモロの挨拶を済ませたら1日の夕方には飛行機へ。
のんびり太っている暇もありゃしません。
こんな具合で大人にとっては慌しいだけの正月ですが、娘にとっては普段の数倍のお年玉がもらえる文字通りの「Happy New Year」。
私の記憶を辿ってみても、お正月と言えばお年玉。
色とりどりのポチ袋でポケットを膨らませた記憶は何より鮮明に残っています。
そんな中で一番記憶に残っているのは、「現金つかみ取り」。
父方の伯父さんの家では一年間かけてためた小銭を、つかみ取りでお年玉にしていたのです。
当時は500円玉なんてなかったですから、つかみ取りで確保できる金額なんて高が知れていたのですが、それでも掴むほうは必死です。
100円玉の多そうなところを狙い、指の股が避けそうなくらいに開いてガッツリと掴むのですが、引き上げるに従って指の間からポロポロとこぼれ落ちる硬貨達・・・・・。
あの時ほど自分が河童に生まれなかったことを後悔したことはありません。
まぁよくよく考えてみれば、河童に生まれて水かきを手に入れたとしても、今度は人間の子としてのお年玉を失うわけですから意味のない後悔だったわけですが、一度掴んだものが手のひらからこぼれていく喪失感は子ども心に深く刻み込まれているのです。
さて、掴むといえば西洋には「チャンスの神様は前髪はふさふさしているけど、後頭部はハゲている」ということわざがあります。
まぁ表現は国のよってまちまちなのですが、この神様はフォルトゥナという幸運の(または運命の)女神様。
このことわざが言わんとしているのは「幸運は一度逃すともう後からは掴めない」。
チャンスを掴むためにはいつも心の準備しておかなければならない、ということなのでしょう。
のんき者の私には、ちょいと厳しいことわざです。
しかし、いくらことわざのためとはいえ、女神様にこの髪型はどうでしょう。
と思ってよくよく調べてみると、もともとは幸運の女神ではなく「好機」の男神カイロスの話。
彼は見事な金髪の前髪をなびかせていたようですが、後頭部がツルツルだったそうです。
このカイロスは、輝かしい笑顔を持って訪れるのですが、決して長居はせずにあっという間に駆け去ってしまうという、まさに「好機」を擬人化した神様。
しかしその俊足のためか、それともその特異なヘアースタイルのためかメジャーになれず、いつしか幸運の女神にとって代わられてしまったようなのです。
とはいえ、そのために女神様の後頭部がツルツル扱いとは・・・。
せめて、前から抱きしめないと、後ろから服を掴もうとしても破れてしまう。
なんて艶めいたことわざに変えて差し上げればよいものを・・・・
などと異国の神様に同情している場合ではありません。
お正月なのですから日本の福の神について語らねばなりますまい。
わが国ニッポンの福の神様は、けっして西洋の神々のように駆け足で逃げ去ったりはいたしません。
えっちらおっちらやって来て、どっかりと腰を下ろして福をもたらしてくれるのです。
その点は西洋の神様よりも落ち着いていいのですが、問題はそのスピード。
異国の神々のように駆け回らないため、なかなか次のところにやって来ないのです。
しかも、礼儀正しい大人としては移動中の福の神を見かけたとしても、髪の毛を掴んで引きずり込む訳には参りません。
福の神をお招きする方法はただ一つ。
笑う門には福来るのことわざにもあるように、笑顔あるのみ。
神様が思わず立ち寄ってしまう笑顔溢れるお店になれるよう、今年も精一杯がんばります!!