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文系の鷲掴み
お菓子職人は理系に向いたお仕事です。
素材の性質を踏まえて組成や加工法を検討し、材料を正確に計量し、あらかじめ決めておいた手順に従って作り上げるのは理科の実験と瓜二つ。
また、レシピが決まるまでの試作を効率よく行うには論理的な計画が欠かせません。
かく言う私は根っからの理系人間。理系の大学を卒業し、会社員時代は研究職、そして現在は菓子職人と、理系の花道をふらつきながらも邁進中です。
しかし、自分が理系だと気がついたのは結構遅くて、高校卒業後。
当てもなく予備校に通っていた浪人時代のことなのです。
日本の教育制度では、理系と文系を分ける条件はシンプルに一つだけ。
「あなたは数学が好きですか(得意ですか)」。
この一つの質問に、イエスかノーかで理系と文系が分かれてしまします。
私の場合、高校時代はひたすら数学が苦手だったので、化学が得意だったにもかかわらず文系クラスを選択したのです。
何せ当時は、数学と英語が致命的に悪かったので国立大を狙うなんて夢のまた夢。
そして私立の場合理系の受験科目は理科と英語と数学。
三科目中二科目が苦手科目では合格できる大学なんてあるはずなかったのです。
そんなわけで文系に進んだものの、好きな科目は化学や生物。
目標も定まらぬうちに受験して玉砕。
そして浪人中に出会った数学講師が、私の目から分厚い鱗をメリメリと引き剥がしててくれたのです。
「数学は将棋と同じようなものであり、理系とか文系とは関係が無い」
数学と将棋?突飛な喩えでしたが、言わんとしたことは腑に落ちました
。数学というのは一定のルールに基づいて解を組み立てていく作業であり、それは飛車角桂馬など動きが決まった駒を進めて相手を詰む将棋と同じ手順なのです。
ですからこの数学講師をはじめとした数学に携わる方々は、まるで将棋の駒を進めるかのように数式を組み上げるのを楽しんでいるのです。
そして彼が言うには大学入試の数学なんて詰め将棋のようなもの、歴史で年号を覚えるように解法を覚えておけば数学的センスなんか無くても点は取れるとのことでした。
そして実際、私は今でも数学は好きではありませんし得意でもありませんが、その後無事国立大に合格し、学生としても研究者としても不便無く活躍できましたし、家庭教師として教える分にも困っていないのです。
では理系とはいったいどんな人なのか。
それはたぶん原因を考えるのが好きな人です。
先日デザートの試作中、急にお湯が出なくなったことがありました。
試作中は常に洗い物が出るのでお湯をよく使うのですが、お湯を使っている途中から急にぬるくなってしまったのです。
何事かと外に出てみると、給湯器からもうもうと黒煙が吹き出しているじゃありませんか。
こんな時に文系は古いのだから壊れたとの考えるのでしょうが、理系にとって「古い」は状況であって原因ではありません。
そこで考えるのです、何が原因なのかと。
黒煙が出るということは酸素不足の不完全燃焼だから、吸気ファンが止まったに違いない。
表からはファンが見えないので手を突っ込んでみると(超危険)、指をはじき飛ばす勢いでファンは回っています。
入り口が無事ならば出口だろう。
使用中に急に詰まったということは外からものが飛び込んでくるはずはない。
排気管にたまった煤が落ちて詰まったに違いない。
ならば上から吸えばよい。
とまぁ、こんな思考経路を辿って無事修理できたのですが、そのために理系でしか知り得ないような専門的な知識は使っていません。
ただ地道に「なぜ」を繰り返したのです。
そしてお菓子作りもまた「なぜ」の繰り返しです。
世間に無数にあるレシピを見て、「なぜこの調合なのか」そして「なぜこの手順なのか」を考えます。
そして自分なりに仮説を立てて実験(試作)し、デザートを作り上げていくのです。
とまぁこうやって書いていくと、理系人間の方が優れているような気もしますが、そんなことはありません。
理系は「人間」のように論理で割り切れないものが苦手ですし、文系は余計な論理を通さない分直感力に優れているのです。
そしてその能力は美味しいものを楽しむ時にも遺憾なく発揮されます。
理系は美味しいものを食べても「なぜ」と考える分美味しさから距離を置いてしまうのですが、文系はダイレクトにその美味しさを鷲掴みにすることが出来るのです。
そんな訳でもしこれをお読みの方が文系でしたら、理系の作ったデザートを鷲掴んでみてはいかがでしょうか。