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プール通い
秋である。
と、断言はしましたが、この原稿を書いている時点では秋らしからぬ台風の通過中。
例の週末台風第二弾です。
週末ごとに日本に訪れるとは、観光大国を目指すクールジャパンの呼び声が、アジアやヨーロッパのみならず赤道付近の台風の耳にも届いたに違いありません。
いや、台風に耳はありませんから目にとまったと言うべきか。
ともあれ、この季節外れの台風や、梅雨並みに居座り続けた秋雨前線のため、今のところ全く秋らしさを感じる事ができないのです。
まぁ昔っから「女心と秋の空」と言いますから、思うようにならないところが秋らしいと言えば秋らしいのでしょう。
さて、秋の空といって思い出すのが高校時代の体育祭。
今も鮮明に心に浮かび上がる秋空があるのです。
それは騎馬戦の時のこと。
体の軽さを買われ、足の速い騎馬を与えられて斬り込み隊の任務を与えられた私は、作戦通り敵の大将まであと一息と迫ったのです。
そして、大将の体に指が届いたその刹那、腰のあたりに丸太ん棒のような腕が巻き付いてきました。
いつの間にか重量級の騎馬に乗ったラオウの如き守備隊長が背後に回り込んでいたのです。
持ち上げられまいと必死に騎馬にしがみついたのが災いしました。
本気になった隊長の「フンッ」という鼻息とともに体は騎馬からすっぽ抜け、勢い余って仰向けに放り出されたのです。
見えるのは抜けるような青空だけ。
スローモーションのように流れる世界の中で、地面に向かって落ちているハズなのに空に吸い込まれるような感覚に包まれたのです。
禅僧は無我の境地に達すると座して宇宙のただ中に居ると実感できるそうですが、私もホンのわずかな時間でしたが、宇宙の無限の広さを実感することができました。
さて、無限の広さを感じたと言えば学問の世界。
高校時代の私は、他の教科は涙なくして語れぬ有様でしたが、理科だけは優秀でした。
特に化学は全国レベルでもトップクラス。
化学については知らぬことなどないぜぃ、と天狗になった鼻で教室の壁を突き破るほどだったのです。
しかし大学に入ってみると驚きました。
化学の世界は知らぬことばかり。
卒論でごく狭い分野の、そのまたさらにピンポイントの研究で最先端に触れたのですが、その先にはまだまだ誰も踏み込んだ事のない無限の荒野が広がっていたのです。
「井の中の蛙大海を知らず」と言いますが、高校だけで終わっていたら、私はいまだに「オレ様は化学の天才だぜい」と無駄に天狗の鼻を伸ばし、道行く人の通行を妨げていたに違いありません。
そしてやっとデザートの話。
二十年もデザートを作り続けていると、お菓子作りならたいていのことが分かってきます。
たとえ初めて見るレシピでも、「何故この素材を使っているのか」とか「何故この順番で混ぜ合わせるのか」など分かりますし、分量を見るだけでどの程度の甘さなのかなど、大雑把な味も見当が付きます。
ですから期間限定デザートの試作でも、まずざっくりとテーマを決めて使う素材を絞り込んでいけば、二・三回の試作で狙ったデザートを作り上げる事ができるのです。
しかし・・・。
これはもしかすると井の中の蛙なのかもしないと思うようになったのです。
できるだけ広く食べ歩こうとは思っているのですが、週に一度の休みは試作や修理であっと言う間に過ぎ去ってしまいます。
デザートの情報収集と言えばネットの中の画像や、それを食べた人のブログ記事ばかり。
まるで教科書や参考書だけで世界が完結していると思っていた高校時代のようです。
これでは世界が広まりようもありません。
やはり実際に見て、触れて、嗅いで、味わわなければ分からないものがあるハズです。
それはデザートだけではないでしょう。
他の料理にだってきっとヒントが隠されているはずですし、それを運ぶ人、食べる時の周りの雰囲気など、様々なものが世界を広げてくれる事でしょう。
これからはできるだけ積極的に井戸から抜け出して、外の世界をのぞいてみようと思います。
と、言うわけで早速ですが、今月六日の月曜日に店をお休みさせて頂いて、とある賞の授賞式に行ってきます。
たいした賞金も出ないので店を休む事もあるまいと思っていたのですが、普段出会う事もない人と語り合い、ついでに賞金で美味しいものを食べてくれば、ちょっと世界が広まるような気がしてきたのです。
そんなわけで、これから機会があれば積極的に出歩こうかと思います。
もしかすると、井戸から抜け出した先は大海ではないかもしれません。
しかし、たとえ小さなプールだとしても、そこには新しい世界が広がっているはずです。
その世界で見つけた何かを、これからもデザートに活かしていきますので、たまに臨時休業になっていたとしても、広い心で許して頂きたい。