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老いる衝撃
新年、あけましておめでとうございます。
今年も、心の底からほっこりとできるお店を目指して頑張っていきますので、よろしくお願い致します。
今年もまた例年の挨拶の使い回し、いつもと変わらぬお正月です。
子どもの頃には正月ごとに集まるいとこ達が、雑なパラパラ漫画のごとく不連続に成長していたので一年間の長さを実感できたものですが、大人になってしまえば十年一日のごとく変わらぬ正月になってしまいます。
この店も始めて二十年になるのですが、内装は二十年前とほぼ同じ。
カップこそほとんどが入れ替わってしまいましたが、壁の絵などは開店当時そのまんま。
そんな変わらぬ光景に平和な安息を感じるようになるのが大人になったということなのでしょう。
しかし、ふと我に返ってみると、そんなに変わらなくてよいのでしょうか?
ちょうど今、明治維新150周年に当たるそうなので歴史に照らし合わせて考えてみましょう。
明治維新から大体二十年後の出来事と言えば「大日本帝国憲法」の制定。
明治維新の最大の目的は治外法権などの不平等条約を改正し、欧米列強と肩を並べることでした。
治外法権は列強から無理やり押し付けられたと思われがちですが、外人さんの立場に立ってみると意外に無茶なことではありません。
なんせその当時の日本の法律は「武家諸法度」のようなものばかり。
これは法律というより心得といったもので、ざっくり言えば生徒手帳の生徒心得みたいなものなのです。
同じように「学生らしい外見を保つこと」と書いてあっても、学校によって茶髪巻き髪ミニスカOKから黒髪パッツンひざ下厳守まで解釈は様々。
江戸期のルールも似たようなもので、例えば同じように大名行列をシカトしたとしても将軍や藩主の解釈次第で見て見ぬふりをされたり刀で切り付けられたりしたわけです。
こんな状態では外人さんは安心して日本で暮らせません。
そんな理由で治外法権を認めざるを得なかったのですが、いつまでも国内で好き勝手にされてはたまりません。
そんなわけで優秀な若者たちを海外に派遣して法律を学ばせ、先進国レベルの法体系を整えるのにかかった時間が約二十年。二十年という歳月は生徒手帳を六法全書に変えるほどの日々なのです。
しかしよくよく考えてみると、もっとすごい二十年がありました。第二次大戦後の二十年です。
明治維新から現在までのちょうど真ん中辺にあたるこの期間で、都市部がすべて焼け野原になり、紙幣が紙切れになる経済破綻状態から二十年とたたずして新幹線が開通してオリンピックも開催しているのです。
まぁ維新のころと比べると反対勢力による内戦などがなかったことなどが幸いしたかもしれませんが、赤ん坊が成人するまでの間で焼け野原に世界最高速の鉄道を走らせたのですからすごいとしか言いようがありません。
二十年とはこれほどの歳月なのですから、KURIKURIだってラストサムライ達や昭和ヒトケタ世代のように努力していれば、今頃はバッキンガム宮殿みたいな店舗になっていたかもしれません。
いやいやKURIKURIだってちゃんと努力しているのです。
何の経験もなく勢いだけで店を開いたのが二十年前。
それが今や新作デザートを二週間ごとに、いや夏には毎週ペースで生み出せる技術を身に着けることができたのです。
そしてデザート以外でも毎年バレンタインには新作のチョコを作ってきましたし、不定期に新作のケーキなんかも作っています。
昨年末に売り始めた「ジュエリースコーン」はスコーンの中に果物を煮詰めて作ったパート・ド・フリュイをちりばめたもの。
ドライフルーツを入れたスコーンは数あれど、フレッシュなフルーツ感が楽しめるパート・ド・フリュイの入ったスコーンは、たぶんうちだけでしか作っていません。
「大きいことはいいことだ~♪」と髭メガネのおじさんが歌っていた昭和の時代と違って、今は大きければいいという時代ではありません。
ナンバーワンよりオンリーワンの時代です。
いつもと変わらない空間で、いつもと違う新鮮なおいしさを感じることができる。そんなお店を作ってきたのです。
と、派手に自画自賛したものの、いつまで新作を作り続けることができるのか不安です。
四十代の頃は店の仕事をこなしたうえで、東大受験に挑戦してみたり小説の新人賞に応募したりしていましたが、五十代に入ってからは家庭教師をやって何とか学力を維持し、年に数作懸賞論文に応募する程度。
戦後、高度経済成長はいつまでも続かずオイルショックでガタガタになったもの。
私にもいつか老いるショックがやってきて新作が作れなくなるかもしれません。
しかし、日本が再び活力を取り戻して日本国土でアメリカで全土が買えるといわれたバブルを迎えたように、私もきっと復活するはずです。
新作がマンネリを迎えたとしても、見捨てずに通い続けていただきたい!