234号の当選番号は 036 045 078 079 148 です。
によりの
いやぁ日本語は難しい!
たとえば「古池や蛙飛び込む水の音」という句を一字だけ変えて「古池に蛙飛び込む水の音」にするとどうなるか。
私なりに解釈すると「や」の方は情景です。
人の手が入らない自然な池で、どこからともなく蛙の飛び込む水音が聞こえる。
擬音化するなら「しーーーん」といったところでしょうか。
それに対して「に」の方は状況です。
場所は同じですが、目の前で蛙が池に飛び込んでいる。
擬音で表すならば「ポチャン」といったところでしょう。
ほぼほぼ同じ一句でありながら受ける印象が全く異なってしまうのです。
それどころか全く同じセリフが違った意味になることさえあります。
数年前、家庭教師の教え子が修学旅行の鎌倉土産を持ってきた時、袋を取り出しながら「大仏買っちゃった」と言ったのです。
さては大仏柄のハンカチか大仏のキーホルダーかと思ったら鳩サブレ。
その後の会話で「(お小遣いを)だいぶ使っちゃった(からサブレしか買えなかった)」と見当がついたのですが、漢字変換しなければ一語一句違わぬセリフ。
昔、橋が壊れてしまったので「このはしわたるべからず」と立札をしておいたのに、小僧さんが真ん中を渡って川に落ちてしまったという噂も聞いたような気がしますから、日本語は本当に難しいものです。
さて、ほぼほぼ同じで異なるものといえば、作っている「SPチョコショートパフェ」のチョコムースに入れた木苺のシャーベット。
普通ムースの中に入れるとすればゼリーが一般的ですし、当初はそれを入れるつもりでした。
しかし試作を行っていた頃は夏日になるほど暑い日が続いたので、試しにゼリー液の一部を凍らせてシャーベットにしてみたのです。
するとふんわりと溶けるチョコムースの食感と、シャリシャリのシャーベットがスッと溶けていく食感の組み合わせが実に楽しく美味しいじゃないですか!
ゼリーもシャーベットも原材料は果汁と砂糖と水でほぼ同じ。
ゼリーはゼラチンで固め、シャーベットは凍らせて固めるくらいの違いしかないのです。
それなのに生まれた美味しさはまるで別物。
個人的には大いにお気に入りの組み合わせになったのです。
話は変わりますが、1970年代に行われたUniverse 25いう実験をご存じでしょうか。
ネズミを他の動物のいない広く快適な空間で餌や水を十分に与え続けたらどうなるかという実験です。
私が読んだ記事では、まず過剰に増えた後にその空間に最適な数で安定すると予想していました。
食べ物に不自由せず、他のネズミとも適度に距離を置いた理想的な暮らしをおくるだろうというものです。
また、私の予想ではコロコロに太ったネズミたちが相撲部屋のお昼寝タイムの如くみっちりと詰まった状態にまで増えたところで落ち着くだろうと考えました。
しかし結果は全く予期せぬものでした。
全滅したのです。
同じ実験を何度繰り返しても、何不自由ない生活を保障されたネズミたちは、生存に関係のない闘争を繰り返したあげく、次第に本能を失い子孫を残すことをやめてしまったのです。
この話は十年程前に日本の少子化についての懸賞論文を書いていた時に知りました。
しかし、その時は意志を持って快適に生きようとしている人間と、お仕着せの快適空間に押し込まれた生き物との比較は意味がないと脳内でお蔵入りにしていたものです。
そして今になってこれを思い出したのは、とある中学生から「なぜ人間には理性があるのですか?」と聞かれたから。
私は家庭教師の教え子によく「何でもいいから世の中で疑問に思ったことはないか?」と聞くのですが、たいていの答えは「特にありません」。
ところがこの子はとても頭の回転が速く、毎回のように何らかの疑問を提示してくれるのです。
しかしそこで飛び出した疑問が「理性」とは!
理性とは「感情や欲求に流されることなく物事を判断する能力」なのですが、なぜそれを人類が獲得したかなんて生まれてこの方考えたことはありません。
そこで答えを求めて頭の中のこびとさん達を総動員し、やっとこさ見つけたのが蔵に隠されていたこの知識。
この話を元に「快適さを作る知性を獲得した人類は、理性をもつことで快適さに溺れることを回避し、自滅への道を塞いでいる」という仮説をたてて回答したのですが、果たして伝わったのでしょうか。
また、ネズミたちにとっては「食べること=生きること」でしょうから、食べるものが十分で外敵もいなければ、生きることすら無意味になってしまったかもしれません。
しかし、人間にとっては生きるためだけに食べるわけではありません。
食べる場所や一緒にいる人などを含めた「雰囲気」とか味や食感などの「美味しさ」を楽しむことも食の重要なファクターになっているのです。
例えば当店のパフェなんか、生きるために食べるようなものではありません。
「パフェを食べる」というシチュエーションやパフェ自体の美味しさを、楽しむために食べるのです。
そしてパフェ制作担当としては「KURIKURIにパフェを食べに行こう」と思って頂くより「KURIKURIのパフェを食べに行こう」と思って頂きたいもの。
たった一字の違いですが「に」より「の」と思ってもらえるよう、これからも工夫を重ねていきますので、気になる新作パフェなどを見かけた時にはぜひ召し上がって頂きたい!