257号の当選番号は 048 141 144 156 197  です。

ご先祖様のおかげ


小学生の頃、通学路にすんごい桜並木がありました。
満開の時期に風が吹くと、視界の至る所に花びらが舞い踊り、桜の海の中にいるような気分になったものです。
そして桜が散ったあとに不思議だったのは、実がないこと。
マッチ棒の如きモノがたくさん落ちてはいたのですが、果実というにはあまりにも貧相。
友達の家の桜には小ぶりとは言え指先程度のサクランボの実がなっていたのに、この大きさでは種が入る余地がありません。
その疑問が解消されたのが、高校時代の生物の授業。
桜は自家受粉できない樹木、すなわち同じ遺伝子をもつ花粉では受粉できないというのです。
そして桜並木に植えられていた「ソメイヨシノ」という品種は、全てもとは一本の木から接ぎ木で増やされたクローンの桜。
だからこそ同じ場所の桜が一斉に咲き乱れるのですが、このために受粉が出来ず、種子が作れなかったというわけです。
 
それにしても凄まじいのは、桜にかける日本人の執念。
花の色や姿の美しさを追求するだけにとどまりません。
ほんの数日で風景を淡いピンクに染め上げるほど一気に咲かせ、あっという間に散りきってしまう「ソメイヨシノ」という品種を作り上げただけでも凄いのに、全国の桜の八割がソメイヨシノという植樹展開能力の高さよ。
一本一本接ぎ木して育てるだけでも大変なのに、育ってからは他品種の桜との交雑も防がなければなりませんし、接ぎ木故に病気に弱く平均寿命が80年くらいしかないのですから維持管理にだって手間がかかります。
毎年素晴らしい桜を眺めることが出来るのは、ご先祖様達の努力の賜なのです。
 
さて、そんなご先祖様の努力にちゃっかり乗っかって作ったのが「サクラパフェ」。
去年、店の前の桜の満開が3月29日で、今年は暖冬で開花が早いであろうとの予測でした。
そこで、桜が散った後まで続けるようではソメイヨシノの潔さに申し訳ないので、期間を4月1日までに設定したのです。
ところがところが、気候が急に初夏から冬に行ったり来たりと思春期のゴリラのごとく落ち着かず、4月1日に咲き始めるかさえも怪しくなったのです。
そこで急遽サクラパフェの期間を4月8日まで延長したのですが、ここはふもとの桜よりもさらに遅く咲き始めるほどの山の上。
もしかしたら、もう少し延長するかも知れません。
 
話は変わりますが、私は大学時代にちょっとした人助けをしたことがあります。
通学中、踏切を渡ろうとしたところで鳴り始めたので立ち止まっていたら、踏切の中にいた車がエンストしてしまったのです。
焦っていたのか何度かけ直してもエンジンはかからず、遮断機が下り始めたので急いで駆けつけて車を押し動かし、また踏切の向こう側の人が遮断機を押し上げてくれたおかげで無事に渡りきることが出来たのです。
そしてその後助けた車の女性にお茶をご馳走になり…というのは単なる妄想。
そもそも当時の私は、たとえ全人類の命を救ったとしても、何事もなかったかの如く立ち去るのがカッコイイと信じていた愚かな青春野郎。
助けられた方は感謝の気持ちを伝えたかったでしょうし、もしかするとその後もエンジンがかからず困っていたかも知れないのに、後ろを振り返ることもなくそのまま立ち去ってしまったのです。
 
そして何でこのような話を思い出したかというと、ある人からちょっといい話を聞いたから。
その方が地下鉄に乗っているとき、同じ車両に車いすの方と赤ちゃん連れの若い夫婦がいたそう。
そして、駅に着き若夫婦が下りたあと、車いすの方が「あ、忘れ物!」と言ったのです。
目をやるとそこにはバッグが置き忘れてあり、車いすの方は懸命に手を伸ばそうとしていたのです。
しかし、車いすは急には動けません。
そこで、ドアが閉まる寸前にその方が若夫婦に声をかけつつバッグをホームに置いたのです。
若夫婦は窓越しに「ありがとう」と伝え、その方は車いすの方に「連係プレイでしたね」と、伝えたとのこと。
何という機転の利いた方なんでしょう!私なんかがその場にいたとしても、前世がクラゲに違いないほどの反射神経しかありませんから、バッグを手に取ったときにはドアが閉まっていた事でしょう。
そして気のきいたセリフも浮かばないでしょうから、コソコソとよその車両に逃げていくのが関の山。
状況をとっさに判断して、行動につなげたのみならず、得られた感謝をきちんと分配するなんて並の人間に出来ることじゃありません。
 
そして再び私の踏切事件。
あの時、運転手からきちんと感謝を受け取っていたら、そして踏切を押し上げてくれた人と連係プレイを分かち合えていたら。
きっとみんながもっと幸せな気分になっていたに違いないのです。
先ほどの方は「あの時感謝を受けるべきだったのは私ではなく、車いすの方だったはずだ」という流れで話してくれたのですが、そんなことはありません。
車いすの方にとっては本来自分がなしえなかったことが出来たわけですし、若夫婦は忘れ物が返ってきたのです。
一人の人間が介在しただけで幸せが何倍にもふくれあがったのです。
こんな事ができるとは、前世にどれほどの徳を積んできたことか。
そして、この調子で徳を積み重ねれば、来世は菩薩に生まれ変わる以外の選択肢はありません。
 
再び話は変わるのですが、4月は火水休みの週休2日にさせて頂きます。
福岡の実家の方で色々手続きがあるためにチョコチョコ帰省する予定なのですが、せっかくですからついでに色々親孝行もしてくるつもりです。
しっかりと孝行の徳を積んでおくので、来世の私はご先祖様(現世の私)に感謝するように!





KURIKURI