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無駄活のすすめ
先月末、パフェ評論家斧屋氏の著書「パフェとデートする。」が発売されました。
パフェ活のすすめ、ともいうべき内容の本で、パフェを食べ歩く楽しさがギュッと濃縮された一冊です。
なんせこの著者、時には一日に六本以上のパフェを食べ、この五年間で質量にして軽自動車一台分ものパフェを食べ歩いているという剛の者。
私なんかパフェ職人でありながらパフェ三本でピーゴロしてしまう軟弱者。
パフェ評論家になるには、パフェへの愛情だけでなく、強靭な胃袋にも恵まれる必要があるようです。
そしてこの本の中でKURIKURIの「紅茶パフェ」も紹介されました。
遥か江戸の町から二度も遠征してもらった上に、著書で紹介していただくのはこれで二回目。
パフェ道を歩むものとして、これ以上の名誉はありません。
そしてこの本の発売からさかのぼること数週間、当店にうれしいお客さんがやってきました。
なんと、青春18きっぷを使い兵庫県から遠征してきてくれたのです。
数年前に斧屋さんが書いた「紅茶のパフェ」の記事を読み、どうしても食べたくて食べたくて、やっと取れた自分の時間を使ってやってきたとのこと。
年のころは50代くらいのご婦人でしたから、たぶん子ども達の手がかからなくなって得られた貴重な時間を使って来てくださったのでしょう。
念願の紅茶のパフェを食べ、しばらく悩んだのちに「苺とミルクティのパフェ」を追いパフェ*し、心の底から嬉しそうに帰って行かれました。
この時はまだ「パフェとデートする」という表現は知らなかったのですが、生涯心に残る逢瀬になったのではと思います。
*追いパフェ:パフェを食べた後、そのお店でパフェを追加注文すること(「パフェとデートする。」P104)。
ちなみにこの時この方が召し上がった「苺とミルクティのパフェ」は、KURIKURI史に残る高評価パフェ。
一般的に当店のパフェの売れ方としては新作パフェ10に対して、紅茶パフェが2でKURIKURIパフェが1くらいのもの。
しかし、この「苺とミルクティのパフェ」は別格。
販売期間の半分以上は「苺とミルクティのパフェ」だけしか出なかったのです。
しかもリピート率も半端ありません。たった10日間しかなかったのに3回食べた方は10人以上、4回食べた方が4人もいたのです。
もうこれは定番にするしかないんじゃないかとも思ったのですが、そうなると「紅茶のパフェ」が降格です。
しかし、斧屋さんの力によって全国的に知られているのは「紅茶のパフェ」。
先ほどの方のように、このパフェを食べに遠征して来られる方が、これからもいらっしゃるかもしれません。
その時もしこれがなかったら・・・
号泣のあまり脱水症状を起こしてしまう方もいるかもしれませんし、グレて悪の道に足を踏み入れてしまう方もいるかもしれません。
世のため人のために、泣く泣く定番化は諦めることにしました。
話変わって夜のKURIKURI店内で行っている個人授業の教え子たち。
さすがに大学入試はきつくなってきたので、現在教えているのは小中学生。どの子もまぁ個性的なのですが、一様に思っているのが「学校でやっていることは無駄なんじゃないか」ということ。
まぁ自分の経験から言っても確かに学校でやっていることは無駄なことがほとんど。
英語や社会なら、まだ社会に出てからも使う機会がありますが、数学や理科を実生活に生かしている人なんて一万人に一人もいるかどうか怪しいもの。
しかし、schoolの語源が「余暇」にあるように、学校というのは本来必要ではないことを学ぶところ。
必要なことなんて、必要になれば身につくもの。
私なんか製菓技術に関しては何一つ学校で学んでいませんし、珈琲豆の焙煎なんて学生時代に行きつけの喫茶店で教わった程度。
それでも美味しいパフェや珈琲を提供できるようになったのです。
しかし、だからと言って学校の勉強が必要ないなんて思いません。
例えば私が大学で卒論に選んだのは「真空流動層」という、全人類にとって生涯何一つ役に立たない代物ですから、その過程で得た知識も無駄の極致。
しかし、こうやって積み上げた無駄知識があるから、どんな教科書にも載っていない美味しいパフェを生み出していると思うのです。
確かに、大学でやっていたことと厨房で行っていることの関係なんか、風が吹けば桶屋が儲かる程度のかすかな関連性しかありません。
しかし0からものを生み出すより、あるものを数百倍に膨らませる方がはるかに簡単なこと。
学校で習うことの99.99%くらいは将来に何の関係もないことでしょう。
しかし残りの0.01%が未来を大きく膨らませる種になるのです。
別に学校の勉強にこだわることもないのですが、せっかく学校に行っているのですからそこでいっぱい無駄知識を得ておけば、将来を大きく膨らませる種がコスパ良く得られると思うのです。
以上KURIKURI先生からの学活のすすめでした。
そして大人になってつくづく思うのは無駄の楽しさ、大切さ。
パフェなんか生存から考えれば無駄以外の何物でもありません。
そんなパフェの楽しさを伝えようとパフェを極めた評論家、そしてその記事を読んで往復500キロもの道のりを踏破した主婦。
これがもし、必要な仕事であったなら苦痛以外の何物でもないでしょう。
無駄なことこそ人生の本質であり楽しみであると思うのです。
そして私は無駄知識大好き人間。常識がないとはよく言われますが、無駄な知識なら人の何十倍も持っています。
実用性は皆無でも、あって楽しい無駄知識。
これを機に、あなたも無駄活してみませんか?